コンクールについて思うこと

前回のエントリで音コンを聴きに行ってきたという話をしましたが、ついでに音コンに限らずコンクールについて日頃思っていることを少々。

  • コンクールは審査付きジョイント・コンサート

コンクールというとやたらと結果を重視する人がいますが、私はむしろ若手に演奏の機会、場を与えていることに大きな意義があると思っています。実際、コンクール荒らしと呼ばれる人も、実は演奏の場、機会を求めてコンクールに参加しているという話をどこかで聞いたことがあります。このような若手は、よほど傑出した才能の持ち主でもない限り、自分でコンサートを開いても聴きに来てくれるのは身内や関係者だけ、という状況でしょう。その点コンクールならば多くの耳の肥えた(?)聴衆(含審査員)に聴いてもらえますし、演奏がよければ名前を覚えて(あるいはファンになって)もらえるかもしれませんし、さらに結果が良ければさらに賞金ももらえます:-)。審査はおまけ、あるいは次のステージに進む人数を絞るための必要悪、ぐらいに考えた方がよいかもしれません。(音コンの1次、2次あたりは聴衆も少なく、とてもコンサートのような雰囲気ではありませんが、これは書類選考やテープ審査の代わりと考えた方がよいかも。)スポーツ競技ではないのですから、勝った負けたとか、悲壮な覚悟とか、そういうのはあまり似つかわしくないように思います。

  • 結果は運というより審査員との相性

とは言ってもやはり結果は気になるもの。私も何度もコンクールを聴いていますが、やはり疑問の残る審査はあります。弟子が優遇されたり、裏取引や大人の事情があったりすることもあるでしょう。それ以上に大きいのが審査員の好みや価値観がかなり違うこと。以前ある雑誌に、出場者に対する審査員のコメントが出ていましたが、2人の審査員でそれが180度違っていたことがありました。素人ならいざ知らず、音楽で何十年も飯を食っているプロですらこうなのですから、唯一絶対の基準というものはありません*1。価値観にはある曲に対する解釈の相違ももちろんありますが、演奏において何を重視するか(テクニック、音楽センス、読譜力、完成度、将来性、ルックス(?))も含まれます。ある人はテクニックがあって華がある演奏を好むでしょうし、別の人は詩情の豊かさや楽曲に対する理解、楽譜の読みの深さを重視するかもしれません。同じレベルのコンクールであっても、一方で入賞した人が、別のでは1次予選で落ちるということは日常茶飯事。1つのコンクールだけを見て、Aさんは通ったけどBさんは通らなかったからAさんの方がBさんより上だとかいうのはナンセンスです。

繰り返しになりますが、1つのコンクールの結果だけを見ても、それはそれほど当てになりません。ただ、数多くの(審査員の顔ぶれの異なる)コンクールに出て、それで結果が出ないのであれば、それはその人の力量に問題があると考えた方がよいでしょう。コンクールの結果は確率・統計的に見なければいけないと思います。大数の法則ではないけれど、1つの事象の結果だけを見ても有意なことはわかりませんが、数を重ねることによって真の姿(実力)が見えてくるものと思います。

*1:このあたりの話はCDに対する評価でも同じですね。