黄金時代のピアニストは現代のピアニストより優れている?

日頃思っていること第3弾。

「ピアニストの黄金時代」という言葉があります。HofmannやFriedman、Moiseiwitsch、Cortotなど、現在では主にヒストリカル系録音で聴かれるピアニストが活躍する時代(20世紀前半)を指します。この頃のピアニストをやたら持ち上げている人達がいて、「あの頃はよかった。それに比べて今のピアニストは…」と、まるで「最近の若い者はなっとらん」みたいな老人の繰言みたいに言う人がいて、正直ちょっと辟易するぐらいです。もちろん好みの問題なのでその頃のピアニストが好きだというのは大いに結構なのですが、当時のピアニストの方が(客観的に)現代より優れている、と言われるとそれはちょっと違うのではと言いたくなります。

なぜ20世紀前半が黄金時代と呼ばれるのか、私はその多様性と個性の強さにあると思っています。いわばピアニストの百花繚乱の時代。多士済々と言ってもよいでしょう。19世紀は作曲家の時代、20世紀は演奏家の時代とよく言われますが、そのような時代の変わり目にあって、あたかも進化論でいう外環境の変化によって多種多様のピアニストが生まれたのではないでしょうか。先カンブリア爆発みたいなものです。

それに比べると現代のピアニストは、それ以後の環境に高度に適応した(ある意味で「進化」した)人種と言えるのではないでしょうか。その際の大きな淘汰圧は言うまでもなく「コンクール」と「録音(レコード)」です。

まずコンクールでは、粒の揃いやテンポの維持など、基本的なテクニック(メカニック)がしっかりしていない人は真っ先に落とされますし、特に正確さが重要になります。解釈の点では、時代様式を正しく守っているかも厳しくチェックされ、個性的な、ある意味自分勝手で自由な解釈は大きなリスクを伴います。また聴衆を喜ばせるような、エンターテインメント的な要素はあまり重視されない、というかむしろ「俗受け」ということで審査員には嫌われます。遊び心溢れる演奏より、「真面目」な演奏が通りやすいでしょう。というわけでコンクールは演奏の画一化の方向への圧力になるでしょう。

やや余談になりますが、黄金時代の、いわば名人芸のスタイルはサーカス芸に似ているところがあると思っています。見た目は凄いし理屈抜きに面白ですし。それに比べると現代の演奏はオリンピックの体操競技に近いと言えるでしょう。ハッタリや俗受け的な要素は評価されにくいです。

一方録音(レコード)では、なんと言っても完成度、隙の無さが求められます。全体の雰囲気はよいのだけど、ところどころいい加減なところがある、といった演奏はなかなか受け入れられません。また何度も繰り返し聴かれるということから、一時の感情や感興に任せた演奏よりは、冷静で分析的な、いわば綿密な設計図通りの演奏も多くなります。さらに既存の多くの録音と比較されるということで、「差別化」のために、その中にあっても存在感のあるよう、PogorelichやPletnev、Mustonenなど極端あるいは超個性的な解釈の演奏もときに現れます。(しかしコンクールの洗礼を受けているため、テクニックはしっかりしており、「出鱈目」な演奏とは言えません。)

繰り返しになりますが、現代のピアニストは現在の環境に適応した、いわば「進化」した状態と言えるでしょう。(ここでいう「進化」は、学術用語の進化と同じ用法であり、価値判断を含まない(「進歩」ではない)ことに注意。)「黄金時代」のピアニストたちより劣っているとは決して思いませんし、個人的には「黄金時代」のピアニストたちより好みに合っています。