「ドン・ジョヴァンニの回想」はMozart作曲?

日頃思っていること第2弾。ドン・ジョヴァンニの回想でもフィガロ幻想曲でもよいのですが、これらは「Mozart作曲,Liszt編曲」(簡易表記ではMozart/Liszt等)などと表記されることがよくあります。が、私はこれにちょっと違和感を覚えます。すなわち「Liszt作曲」でよいのではないかと。もちろんオリジナルの旋律を作ったのはMozartに間違いないですし、Lisztはそれをネタに自由に「編曲」したと言えるのですが、だとしたら例えば「Handelの主題による変奏曲とフーガ」は「Handel作曲,Brahms編曲」と書かれるかというとそういうことはなく、メロディーを拝借していればすなわち編曲かと言われたらそうとは言えないわけです。要はその曲におけるオリジナルな創作の比重がどれくらいあるのかによるのだと思いますが、個人的にはドン・ジョヴァンニの回想などは、「『ドン・ジョヴァンニ』の3つのテーマに基づく幻想曲」と言うべきものであり、これはLiszt作曲と表記すべきものと思っています。

Lisztが自身の「編曲」物を、原曲への忠実度に応じて「幻想曲(fantasy)/回想(reminiscence)」、「パラフレーズ(paraphrase)」、「トランスクリプション(transcription)」と使い分けていたのは有名な話ですが、このうち幻想曲/回想は「Liszt作曲」、トランスクリプションは「〜作曲,Liszt編曲」とするのが適切だと考えます。パラフレーズは微妙ですが、たとえば有名なリゴレットパラフレーズが「Verdi作曲,Liszt編曲」と記されることが少ないことを思うと、「Liszt作曲」でもよいように思います。ちなみにトランスクリプションかどうかは、原曲の構成・構造をそのまま保っているか(より具体的な指標で言えば小節数が同じか)が基準になるでしょう。

そういう意味では逆に、LisztのPaganini大練習曲は原曲との対応からいうとトランスクリプションに分類されるものであり、よってPaganini/Lisztと表記されるのがふさわしいと思うのですが、なぜか単にLiszt作曲と記されることが多く、不思議です。(題名で既にPaganiniと言っているので重複させる必要もないということなのかもしれませんが。)ちなみにトランスクリプションだからと言って編曲者の創意工夫があまり発揮されていないということではなく、むしろPaganini大練習曲やSchubertの編曲物などには「回想」物以上にLisztの(原曲をピアノに移し変える)天才ぶりが現れているといってよいでしょう。トランスクリプションか否かは、創意工夫の多寡や巧拙で決まるものではないのは言うまでもありません。